踊る目覚め
10
警備員さんが消そうとしたので、やえかは
「あ、待って!」
と制した。それから急に大声を出したことを恥じて、
「あの、まだ消さないでいただけませんか、ここに書いてしまったのは申し訳ないです。
紙に書き写したらすぐ消すように本人に言います、お願いします」と頭を下げた。
警備員さんは、(なぜこの子がしたことを、この女の子が謝るのかな)と、微笑をした。
やえかは、車に走って戻り、いつも資格の勉強の復習に持ち歩いている大学ノートをカバンから出し、
まだ書いていない後半部分の紙を何枚か取ってから、自習室に戻った。
「うわ、びっくりした。どうしたの、やえかさん」
なるみがやっと起きたらしい。
「なるみ君、はい、これ使ってください。机に書いてあることを、書き写すといいよ。
警備員さんが、このままの机では困ると言っていたから」
「この紙、やえかさんの?」
「う、うん、それはいいの、それより、ここに書いたものは自分で綺麗にしていきなよ」
やえかが代わって書くことはできない。
もし、助詞ひとつでも間違えれば、なるみの伝えたいニュアンスとは違う話になるかもしれない。
早くしないと警備員さんに注意されそうだし、正しく写すには、なるみ本人が書いたほうがいい。
やえかは警備員さんにお礼を言いながら、ドアを出た。
「え、もう帰るの」
「君は、この机を綺麗にしてから帰ってください」
「はい。ごめんなさい。」
警備員さんが言うと、なるみは返事をして机の文字を紙に書き写し始めた。
中庭のくらやみの中、1台の車のライトがゆっくりと動いていく。
やえかの車だろう。なるみは、そのライトを少しの間、じっと見ると、
視線を机に移した。そして、「俺、随分書いたな…」と、感心しながら、机を綺麗にしはじめた。
書いたものは、早朝、なるみの家に来てくれたお友達に無事渡された。
「そうかあ、なるみは眠りが深いからな。うらやましいけどな、そういうところは。
清書はワープロ入力のほうが早いな。俺得意だから間に合うと思う。
あとで確認のため、清書したものをファックスで送ります。
それにしてもなんだか、お前らしい原稿だな。」
A4のくしゃくしゃの紙1枚と、小さなメモ用紙5枚、大学ノートの横線入りの紙6枚の合計12枚を手にとって、
お友達は可笑しそうな顔をした。
「次に来るときは、綺麗に清書したものを頼むよ」と笑顔で言いながら、まっすぐ会社へ向かった。
数日後、なるみはやえかと白木さんに、公募に間に合ったことを話した。
「ありがとう、やえかさん」
と、いつになく真面目な顔でなるみは感謝した。
やえかは、あれはほとんど警備員さんのお陰だと言った。なるみの感謝の気持ちが、身体に沁みこんで
少し嬉しかったが、やえかは、あのとき青年を助けたかった気持ちが、今出てきたのだと思った。
××会社の人からも、電話があったが、丁重にお断りしたという。
ほんとうは光栄なことかもしれない。けれど、納得の行く道がもう見つかっているので、その道を歩いていきたい。
なるみは、そう言った。
それから、やえかが1人で帰るときに、こう言ってきた。
「白木さんに聞いたよ」
「何を?」
なるみは、それには応えなかった。やえかが、何の話だろうと思っている間もなく、
「大丈夫。俺は、大丈夫だよ。」
と言った。
つづく